

日本海に浮かぶ隠岐の島は本州から約65kmの沖合いにあり、大自然と歴史の島でもあります。
日照りが続こうとも決して水が枯れることのない中ノ島は水源を全て地下水でまかなっています。大きな山や森があるわけではありませんので、島という環境としてはめずらしいことではないでしょうか。また、日本の名水百選に選ばれている天川の水が湧き出していることから、その質のよい地下水が島の近海に注がれ、海藻類を美味しく育ており、そして海藻を餌にしているサザエ等の貝類も旨みに富んでいます。
また歴史的にも多くの天皇や貴族が流された配流の地としても有名です。
今でも後鳥羽上皇の墓を守る村上家があり、およそ800年もの間代々後鳥羽上皇の墓を守っています。
後鳥羽上皇
承久3年(1221年)5月14日、後鳥羽上皇は北条義時追討の院宣を出し、畿内・近国の兵を召集して承久の乱を起こしたが、幕府の大軍に完敗。隠岐島(隠岐国海士郡の中ノ島、現海士町)に配流された。
後醍醐天皇
元弘元年(1331年)に倒幕計画をする元弘の乱を起こすが、圧倒的な兵力を擁した幕府軍の前に捕らえられる。翌年隠岐島に配流される。元弘3年、名和長年ら名和一族を頼って隠岐島から脱出。
小野 篁(おの の たかむら)
承和元年(834年)、遣唐副使に任ぜられるが、承和5年(838年)に病気と称して職務を拒否したうえ朝廷を批判する詩を作したため、嵯峨上皇の怒りをかい隠岐に流された。1年半の後に許されて帰京。
小野妹子の子孫。小野小町の祖父という説もある。
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