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【岡本錦鯉センター】

岡本一郎さん 1948年9月2日 石川県金沢市生まれ
両親が食用の鯉などの養殖業を営んでいたが、じょじょに錦鯉へ転向。岡本さんも、幼いころから錦鯉と親しんできた。高校卒業後、平日はサラリーマン、土日は鯉屋の二足のわらじを履いて家業を助ける生活が11年続き、ついに、昭和55年に岡本錦鯉センターを開店。
錦鯉を愛して58年。お客様の笑顔を集めることを目標に、元気な鯉を提供し続けている。 |
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錦鯉をやっていてよかったことは?= 愚問 |
よかったことも何も、鯉をやっていない人生なんて考えられないですね。だって生まれたときからそばにいて、錦鯉がいるのが自然な人生でしたから。
幼いころから家のことを手伝ってはいましたが、はっきり覚えているのは高校を卒業したとき、両親と初めて出かけた錦鯉の仕入れのことです。秋の2週間ほど、金沢から新潟へ出かけていって錦鯉を仕入れるのですが、そこで見た大正三色がきれいだったこと・・・。僕ははじめて自分で仕入れた魚に、非常に愛着を持ちました。今でも一番好きなのが大正三色なのは、多分そのときの記憶があるからだと思います。
さて、高校を卒業してからが、僕の厳しい錦鯉人生の幕開けでした。
とりあえず就職してサラリーマンになったのですが、両親が体調を崩しがちだったので休日はすべて、家業の手伝いをしていました。秋には1〜2週間休暇をとって、錦鯉の仕入れもやりました。有給はすべてこの期間のためになくなってしまうので、とにかく365日フル稼働という状態です。そして、その8年ほどの間に両親が他界。僕は落ち込む暇もただひたすら、両親が遺してくれた鯉たちを育てて、サラリーマンもつづけていきました。
鯉の世話をするのは僕しかいませんから、ますます僕は錦鯉たちを大切にしました。販売も、土日の限られた時間でなんとかお客様にお届けしていました。
そんな生活の間に妻子にも恵まれ、サラリーマンと錦鯉業の兼業生活は11年ほど続きました。
「1000万売上が見込めたら、錦鯉で独立しよう」
僕は、生活を支えながら夢をあきらめませんでした。
昭和55年、ようやく会社を辞め夢の「岡本錦鯉センター」を立ち上げることができました。妻も、僕のがんばりを良く知っていたので、僕の独立を応援してくれ、またとても喜んでくれました。 |
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元気な鯉を届けたい! |
長年(年齢と同じ。笑)錦鯉をやっていますが、錦鯉は年々弱くなっていると感じています。
ヘルペスの流行もありますが、やはり最近は設備などが良くなりすぎているのだと思います。
ポンプや餌がよくなりすぎて、それで甘やかしてしまっている愛好者の方が多いのでしょう。鯉を愛する気持ちはもちろんわかるのですが、甘やかしが過ぎると弱い鯉になってしまいます。適度な餌、設備、そして病気予防の薬浴などをきちんと整えてやることが丈夫な鯉を育てて、楽しむポイントです。僕は、少しでも多くのお客様に元気な鯉を届けたいし、またお客様のもとでも元気に過ごせるように、いつでもご相談に乗りたいと思っています。
10万円の魚も、世話をしなかったらすぐに1万円以下の価値になっていまうのが錦鯉の世界です。健康に美しく育てるアドバイスと飼育用品を提供し、たくさんのお客様に笑顔と満足をお届けしたいと思っています!
最近では池造りにも注力しています。
お客様のお庭に、ゼロから池を造ってさしあげて、うちの鯉を泳がせる。
やはり、お客様の満足を第一に丁寧な仕事をしていきたいと思います。
(写真は岡本さんが手がけた池のひとつ) |
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20年ほど前、愛鱗会全国大会の金沢大会で全2500匹の出展のうち、580匹を岡本錦鯉センターが出品取扱いするという、史上最多出品取扱いの記録を持つ。
また、東京大会で全体総合優勝にノミネートされた鯉もいた。
ほか、国魚賞、区分賞、種別日本一など受賞は数えきれない。

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岡本錦鯉センターがお届けする安心の鯉 |
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